奇跡の宅老所「井戸端げんき」物語を読んで
どうもoruguです。
生まれ変われるとしたらカフェでバイトをする
イケメンになりたかったです。
カワイイバイトの子と話している姿を見るだけで
いいなーって思ってしまいます。実に不純な動機。
そんなカフェで久しぶりの読書です。
今日はこの本を読みました。
個人的に気になったワード(メモ用)です。
- 不細工な介護を目指し、実践している。
- 介護する側、される側、といった境界を越えた相互関係であることが目標である。
- 自分自身の生き直しの場。
- 依存と妄想。現実逃避を支える両輪。
- 人生における最初に引きこもり=宅浪時代。不安定な時期。
- 兄の友人の自殺。拒む。後悔。自分も同じ境遇。
- 大学生になって普通の生活目指す。外へ、社会へ、底辺へ。
- 人に迷惑をかけることはすばらしいこと。それが人と人をつなぐこと。
- 前向きに生きていくことが苦痛、消極的な生き方しか出来ない。
- 新人研修初日の日がフジロックの日。
- 入所者に与えてもらった生きていくための自信。
- 介護保険制度→利用者はお客様。公共の場。
- アクティビティでなくエロトーク。
- 横浜から千葉に彼女と一緒に引きこもる。
- 抑制=拘束。手足を縛ること。
- もっと自由にやりたい。福祉の便利屋。
- 福祉のことで困りごとがあったら請け負う。
- 利用者のためになることだけを自由にする。
- 介護をするひと、されるひとの関係を相互的なものに変えること。
- 生活リハビリ=生活行為に優る訓練はない。自発的な動き。
- 宅老所という介護サービスの形態。
- お年寄りと障害者と子どもを同時に預かる富士型(民間デイ)
- 宅老所を作る、ヒト、モノ、カネが必要。
- 千葉県。NPOを大切に使用する風土。健康福祉千葉特区。
- お隣さんにちょっと頼む、相談しに行く。
- 暇つぶしにお茶に立ち寄るような気軽さ。
- 毎日利用。介護保険の利用限度額を超える。
- お金を貰わないが、来たければ来てもいい。名目としては自費利用。
- こちらがサービスをするのではなく、手伝ってもらう形で関係を作る。
- 地域の信頼。
- デイサービスと宅老所との違い。プログラムや時間割が無い。
- そのように過ごそうとしても過ごせた試しがないから。
- 誰かに迷惑をかけ、振り回されて、乗り越えていく。
- 「ニーズを想定しない。何をするかは、そのとき考える。」を方針とする。
- ニーズに合わせてサービスを変えていく。
- どんなに良いケアをしていても、閉鎖的になってはいけない。
- いざというときに声をかけてもらいたいから。
- 人としてやらなくてはいけないこと。なだらかな着地点となればいい。
- キョウコさんとタケアキさん。黄金比の瞬間が出来る奇跡の瞬間。
- 相手の生きづらさを共有し合えたからこそ生まれる共感。
- ヒトは地域に迷惑をかけることがあっても、地域の中でいるべき。
- いろんなひとが地域にいても良い。見慣れた風景になじませていく。
- 一つの場所(通所施設や家族の中など)でかかえこませすぎないようにする。
- ぎりぎりまで、みんなで見ながら分け合っていく。人間として向き合う。
- 燃え尽きないで欲しいけど、情熱を持って燃え続けて欲しい。このバランスが難しい。
利用者本人は人間らしい当たり前の生活をするために伴う生活上の危険を受け入れている。これを受け入れてないのは家族や介護者や医師など本人を取り巻く人たち。
- 安全のためという理由で、利用者の行動を制限したり管理しないこと。支え続けること。
- 家族の物語を共有していくこと。
本当にその人のことを理解しようと思ったとき、どんどんプライベートに入り込む。
その人の問題すべて自分の問題として抱え込むことで二人三脚ができるようになる。
→抱え込まないけど共有していく。関係を開かれたものにする。
不十分であること。常に誰かの力を必要にする。
ボランティアでも障害者でも何かやってもらえないかと日々考える。
- 会議という形でなく、気ままに情報交換する場。集まってディスカッション。
- モチベーションアップという意味+方向性の確認の場。
- 管理し、管理される関係を作らず、お互いの関係や立ち位置を曖昧にする。
- 分かってもらえないひとが、落ち着けるわけがない。
いい国にしよう、いい町にしよう、いい生き方にしよう、いい私にしよう。という上昇志向に縛られることをやめて、B級でもいいじゃないかと思えたとき、ひとはうんと優しくなれる。
- おかしな振る舞いがあったとしても、そういうひとなんだと受け入れること。
- 世の中を良くしたい=右肩上がりの社会にならなくても良いじゃないか。
- 障害:身体、知的(先天的)、精神(後天的)の3種類。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ぼくには覚悟はあるのか?
子どもに関わりたいという単純な動機。
一緒に働く仲間を働きやすくしたい。
自分に対する自己肯定力の無さ。
自分のできることとのギャップ。
家族と一緒に暮らすこと養うことに対する不安。
そんななかで相談、子どもだけでなく保護者との関わりに興味をもった。
ただの資格とかでなく、本質として相談ができるようになりたい。
悩んでどうしたら良いのか分からない子どもに対しても関わりを持ちたい。
子ども、保護者、その家族と別け隔てなく接したい。
自分で狭めるのではなく、もっと広い視野を持ちたい。
支援とかケアとか相談とか、何かそういう堅苦しいのではなく
ぼくにでも出来ることを自分の頭で考えながら生み出したい。
自分の甘いところがある。それを考えるだけでなく行動で何とかしたい。
その場で考えたり行動したり臨機応変に立ち振る舞うことが苦手。
計画や考えやシステムやそういったものを越えた形で仕事していきたい。
その中で自分に自信をつけていきたい。そのために自分をちょっとでも変えたい。
では!